先日すごはん(すごい販促)のまっす~(増澤美沙緒さん)のブログセミナーを受けて感じたことです。
まっす~はブログを書くと言うことは興味を持った人に選んでもらえるということ。
知らずに出会って時間をかけて話し合った挙句に今回の話は無かったことにってなると、お互いにそのためにかけた時間や労力がムダになってしまう。
お互い不幸になってしまうでしょう、だから、『お互い不幸にならないために』そもそも自分が何をできる人なのか、どんな人なのかを発信することって大事だよって表現されていました。
ボクはSNSで【個】を出して発信することで、ボクに興味を持ってくれた人と出逢いたいと思っていて、現に今もこのように発信しています。
あえてガラを悪くしてるワケではありませんが自由というか仮面をかぶらず【素】でいるだけです。
ガラ悪くて怖そうだな、近寄りたくないなって人がいたら寄らなければいい。
表面上の目に見えるものだけが本当とは限らない。
ネクタイ締めてないと信用がないって思ってる人とは分かり合えないだろうからね。
あえて嫌われようとは思っていないが、万人に好かれるとは思っていない。
嫌われるのは悲しいというか残念だがお互い様なのだろう。
その人と分かり合える努力も必要なのかもしれないが、24時間という時間は限られている。
性別、能力、貧富の差はあれど、時間は平等なのだ。
24時間をどう使うか。
ボクは好いてくれる、興味を持ってくれる人と【仲良く】なるために使いたい。
既に仲良しのお友だちとは【もっと仲良く】なるために使いたい。
この2つを優先すると寄ってこない人に使う時間はなかなかないのだ。離れていく人も同じ。
個を出して発信すると言うことは、【選ばれる】ために発信していながら、実は自分自身が寄ってくる人を【選んでいる】のではないかと思っています。
話しを戻そう。
まっす~の言っている『お互い不幸にならないために』ってのは、結局のところ目指している結果は同じなんじゃないかなと思うんです。
ボクの表現はどちらかというと、自分が嫌われる覚悟を持っているので、あえてこういう強気がちな発信することで、自分を鼓舞しているところがあります。
ボク側から見た発信になってますよね。
でもまっす~は『お互いに』と表現することで相手の立場のことも思いやった発信だな~ってボクは感じたんです。
伝えたい意味は同じことでも使うコトバで感じ方は全然違うよね。
最近響いた表現は『お互い不幸にならないために』
今まで自分が覚悟してるからいいんだって強気な表現してたけど、こっちの方が相手のことも配意した表現かなって。#コトバのチカラ ってホント感じるね。#スケッチ語録— 冨樫大助 オロナミンCと言えばスケッチ (@shukyaku_master) 2016年10月28日
伝えたい意味は同じことでも使うコトバで感じる印象は全然変わりますね。
販促物を作る時も同じ。
相手がどう感じるか?どう感じて欲しいか?を考えてコトバを選ぼう(๑•̀ᴗ- )✩
