【わたシゴト_02】両親に勝手に埼玉へ旅立ち倒産してUターンしました
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つづきです
20年前のボクです。
若っ!細っ!
カワイイでしょ(笑)
埼玉での突然の無職からUターンして、情けなくも函館に出戻ったわけですが、とうの昔にバブルははじけており、そうそう簡単に仕事なんて見つかるわけもなく、親に3食食べさせてもらっている身としては逆らう術もなく、言われるがまま公務員専門学校に通いながらアルバイト生活をしていました。
この時の思い出と言えば、例のあの印象が強すぎて他には考えられません(笑)
知らない人はこちらをお読みください。
というわけで無事に公務員試験も終わり。
郵便局に入りたかったわけじゃないけど、2次面接まで行って合格したのが郵便局だけだったので郵便局に入社しました。
1995年(平成8年)4月1日
函館東郵便局 郵便課に入社。
この時は郵便番号がいまの7ケタではなく5ケタでした。(知ってましたか?)
シゴトは内勤でゆうびんの窓口から内側での仕分け業務、たった一人で郵便局に泊まるという業務もありました。
郵便局に一人で泊まるのはとても怖かったです(笑)
2時間の仮眠時間があって宿直室で仮眠するのですが、怖くていつも局内の電気はつけっ放しにしてました(^o^;
泊まりの仕事は怖かったけど、激務の民間企業で1年勤めていたので、シゴトが残っていても勤務時間終了すると、夜勤に勤務交代するから帰っていいよって・・・楽すぎる!
ぬるま湯シフトになんか違和感を感じながらも毎日を楽しく過ごしていました。
窓口業務が好きでした
切手やはがきを販売したり、書留やゆうパックを引き受けたりと接客業務をしてました。
とは言っても、函館の温泉街にある郵便局。
「じゃらん」や「るるぶ」を片手に観光するのが一般的
来店客の多くは
「○○ホテルはどこですか?」
「□□旅館はどこですか?」
「××ラーメンはどこですか?」
「△△寿司はどこですか?」
携帯電話が少しづつ持っている人が増えてきた時代。
スマホなんてないからgoogleマップもない。
観光マップを勝手に作って配った
毎回同じこと尋ねられるから、勤務時間外に自分で勝手に作った周辺のホテルとオススメグルメを記した簡単な地図を配っていました。
ま。思えば昔から好き勝手やってたんですね(笑)
せっかくの旅行だし、美味しいもの食べたら嬉しいもんねって、その当時はどこまで思っていたかはもう覚えていなけど、地図作って喜ばれること自体が自分が嬉しくて楽しかったからやっていたんだと思います。
そのうちに旅行帰りの観光客が立ち寄ってくれる人がいました。
手ぶらで帰りたいので荷物をゆうパックで送りたいという人がいて、ヒマな時だけだけど、お土産が潰れないように荷造りを手伝ってあげたりして話しているうちに、食べ物が美味しかったとか言う話題が多いので、お取り寄せできますよってことでさりげなく郵便局のふるさと会というお取り寄せグルメを紹介(売り込み)するとめっちゃ売れました(笑)
その後に、御礼の手紙を書いていたら、稀にお返事くれる人もいて。
中にはその後も毎年購入してくれる人もいて。
いま思えばSNSの無い時代に手紙という通信手段を通じて、ご縁をはぐくんできたからなのかなって思います。
先輩・上司に恵まれたおかげで結構楽しいこと色々やりました。
★朝獲れたてのイカを発泡スチロールに詰めて東京へその日の夕方に届けるという朝イカゆうパック企画。
これは新聞に取り上げてもらうことができたこともあってめちゃくちゃ売れました。
★郵便局の駐車場を使って社員が焼きそばや焼き鳥焼いたりして周辺の住民へ感謝祭として夏祭りをやったこともありました。
振り返ってみると、この頃から既に郵便局っぽくないことを色々やってました(笑)
活き活きと楽しくシゴトしてたから目立ったんでしょうかね。
ある日、郵便局の建物の中で一番偉いはずの局長がペコペコしていて、見慣れないエラそうなオッサンが現れました。
オッサン 「キミが冨樫君か?」
ボク 「そうですけど」
オッサン 「ふ~ん」
ボク 「ふ~んってなんだよ!(心の声・・・)」
1999年(平成12年)4月10日くらい(正確な日は忘れた笑)
定期異動からたしか10日ほど遅れて、初めての転勤をしました。
オッサンは異動先の副局長でした(笑)
異動したのは・・・
函館中央郵便局 郵便営業企画課
この異動がなければ、今頃ボクはまだまだ郵便局にいたことでしょう。
というかエクスマに出会うこともなかったし辞めてなかったでしょう。
つづきはまた今度ということで。
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